愛知県内に生息する蝶類の分布域についての
地球温暖化現象による影響の解明


                                           杉坂 美典
1.はじめに
  地球温暖化現象が現れるようになり,近年,数種の蝶類の分布域が変わってきたこと  は,フィールドでの調査を継続している研究者にとって,体感できる事実である。しか  し,このことを科学的に実証された研究は少ない。   最近,ナガサキアゲハの分布が拡大した状況について,日本の各地の平均気温が上昇  し,平均気温が15℃に達した地域にナガサキアゲハが進出したことを結論付けた論文  が出された。しかし,蝶類が分布を広げる要因の一つとして,冬の最低気温がその蝶類  にとって,越冬できるかどうかが問題であり,最高気温や平均気温は,直接的には関係  がなく,最低気温が上昇することによって生じる付随的な現象であり,この要因を平均  気温の変化で論じることには,疑問を抱かざるを得ない。   そこで,私は,岡崎市の冬季の最低気温の変化を分析し,温暖化現象の影響を受けて  いると考えられる数種の蝶類について,その分布域の変化をまとめてみることにした。
2.温暖化の影響を受けている蝶類とその概要 (1)クロコノマチョウ    1986年以前は,県内では,渥美半島や豊橋市の丘陵地に見られ,その数は少な   い状況であった。岡崎市でも,年間に1頭の記録が出るかどうかであった。しかし,   1987年には,県内の各所で発生が確認され,1988年には,市内の東部の丘陵   地で局所的に発生していることが分かった。その後は,市内の丘陵地の各所で生息が   確認されるようになった。成虫は,単独行動をし,訪花をしないので,数多くの個体   が記録されることは少ないが,発生地では,1日で10頭前後の個体を確認できる状   況である。    県内では,丘陵地や低山地に広く分布するようになった。 (2)ツマグロヒョウモン    1993年以前は,県内では,クロコノマチョウと同様に,渥美半島や豊橋市の丘   陵地に見られ,その数は少ない状況であった。岡崎市では,1976年に1頭の記録   があるのみであった。しかし,1994年には,18年ぶりに1頭の記録が出て,1   995年には4頭,1996年には1頭の記録が出た。1997年には15頭の記録   が出て,それ以降は,年間100頭以上の記録があり,岡崎市内では,最も数多い蝶   の一つになった。    県内では,市街地から丘陵地,山地帯の山間にまで,広く分布するようになった。 (3)ナガサキアゲハ    1998年,紀伊半島を北上し始めた本種は,2000年,知多半島に分布域を広   げ,安城市で確認された。そして,2001年には,蒲郡市,西尾市で記録された。   そして,2003年,岡崎市で記録され,2004年には,足助町でも確認された。   2005年には,県内の各所で見られるようになった。種樹はミカン類で,発生地で   は,その数は少なくないが,成虫は,飛翔性が強く,広範囲に広がるため,まとまっ   た数の個体を確認することは少ない。 3.気温に関するの資料の収集方法    インターネットで公表されている気象台のアメダスのデータを使い,岡崎市における  1978年12月から2005年3月までの27年間について,冬季の最低気温のデー  タを,−3℃以下−4℃未満,−4℃以下−5℃未満,−5℃以下の3段階に分け,そ  の日数を調べた。 4.調査結果    岡崎市の冬季の最低気温をまとめると下記の資料1のようになった。
年度
’78
’79
’80
’81
’82
’83
’84
’85
’86
’87
’88
−3℃以下−4℃未満
の日数
14
16
24
25
18
33
15
29
−4℃以下−5℃未満
の日数
10
14
14
17
−5℃以下〜     
の日数
年度
’89
’90
’91
’92
’93
’94
’95
’96
’97
’98
’99
−3℃以下−4℃未満
の日数
10
25
14
16
15
−4℃以下−5℃未満
の日数
10
−5℃以下〜     
の日数
年度
’00’01’02’03’04
−3℃以下−4℃未満
の日数
−4℃以下−5℃未満
の日数
−5℃以下〜     
の日数
(資料1) 岡崎市の冬季の最低気温が−3℃以下に達した日数
(資料2) 岡崎市の冬季の最低気温が3℃以下に達した日数のグラフ
年度
’78
’79
’80
’81
’82
’83
’84
’85
’86
’87
’88
ツマグロヒョウモン
の記録数
年度
’89
’90
’91
’92
’93
’94
’95
’96
’97
’98
’99
ツマグロヒョウモン
の記録数
15
123
116
年度
’00
’01
’02 
’03
5〜6月
7〜12月
5〜6月
7〜12月
5〜6月
7〜12月
5〜6月
7〜12月
ツマグロヒョウモン
の記録数
45
89
56
95
78
43
66
年度
’04
’05
5〜6月
7〜12月
5〜6月
7〜12月
ツマグロヒョウモン
の記録数
32
97
21
45
(資料3) 岡崎市における年別のツマグロヒョウモンの記録数

クロコノマチョウ(1980年)の分布図

クロコノマチョウ(1993年)の分布図

クロコノマチョウ(2005年)の分布図
(資料4) 愛知県におけるクロコノマチョウの分布図

ツマグロヒョウモン(1980年)の分布図

ツマグロヒョウモン(1993年)の分布図

ツマグロヒョウモン(2005年)の分布図
(資料5) 愛知県におけるツマグロヒョウモンの分布図

ナガサキアゲハ(1993年)の分布図

ナガサキアゲハ(1993年)の分布図

ナガサキアゲハ(2005年)の分布図
(資料6) 愛知県におけるナガサキアゲハの分布図 5.考察  ・ 資料1の数値,および資料2のグラフから分かるように,1986年以前は,−3℃   よりも低い温度の日数が多い。これは,南方系の蝶が,夏の間に分布域を北上させても,   岡崎市では,越冬ができないために,分布域を広げることはできない。この例として,   ウラナミシジミやチャバネセセリなどがあげられる。  ・ 1987年から1995年までは,−3℃よりも低い温度の日数が極端に少なくなり,   温暖化が始まっている。この8年間に,クロコノマチョウやツマグロヒョウモン,ナガ   サキアゲハは,越冬ができる九州地方,紀伊半島の南部などの温暖な地域から分布域を   北上させたものと考えられる。  ・ 1996年は,かなり低い温度の日数が多いが,1997年以降は,年々温暖化が著   しくなっている。  ・ クロコノマチョウは,県内の山間部には,分布していないものの,市街地を除く平地   から低山地にかけての山林や林道沿いに広く分布していることが分かった。  ・ クロコノマチョウは,1980年では,15ヶ所,1993年では,17ヶ所から記   録されたが,2005年では,52ヶ所から記録された。  ・ ツマグロヒョウモンは,市街地を含め,平地から低山地の周辺の道路沿いの荒地,明   るい草原,人家の周辺の花壇などに見られた。  ・ ツマグロヒョウモンは,1980年では,10ヶ所,1993年では,5ヶ所から記   録されたが,2005年では,213ヶ所から記録された。  ・ ナガサキアゲハは,確認数は少ないが,市街地周辺の丘陵地などに見られ,食樹のミ   カン類が植えられている場所の周辺で見ることができた。  ・ ナガサキアゲハの雌の白斑は,あまり発達しない。これは,沖縄などの南方系のナガ   サキアゲハの白斑が良く発達することから,南方系のナガサキアゲハが飛来して,偶産   しているのではなく,紀伊半島の南部にに生息しているナガサキアゲハと同じ系統のも   のであり,紀伊半島から徐々に分布を北上させてきたものと考えられる。  ・ ナガサキアゲハは,1980年では,記録はなく,1993年では,1ヶ所のみの記   録であったが,2005年では,17ヶ所から記録された。 6.おわりに    地球の温暖化現象は,人々の努力によって,その加速度は減少できるかもしれない。し  かし,これからも温暖化は続いていくことは予想でき,ツマグロヒョウモンとクロコノマ  チョウは,さらに分布を北上させていくだろう。ナガサキアゲハも前種よりは,その進行  速度は遅いものの,各地に分布を広げていくに違いない。   2005年の夏,伊豆半島の南伊豆で,ハイビスカスの花に多数のナガサキアゲハが飛  来している光景を見ることができた。岡崎市戸崎町のミカン園では,ナガサキアゲハの発  生を確認することができた。思えば,今から30年前,ナガサキアゲハを採集したいとい  う夢を持って沖縄に出かけたが,今現在,そのナガサキアゲハを,自分の住んでいる場所  で見られることを幸せと思ってよいのだろうか。



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