絶滅寸前になった北山湿地(岡崎市池金町)のギフチョウへの積極的な保護活動

岡崎市動植物調査会調査員   杉坂 美典.........

1 はじめに
 三河地方の南部に生息するギフチョウは,1960年代の後半から1980年代にかけて,北山湿地(岡崎市池金町),岡崎市保母町の火薬庫周辺,岡崎市茅原沢町,岡崎市明大寺町,桑谷山,本宮山,宮路山,五井山,葦毛湿原などで発生していた。しかし,北山湿地と保母町以外のギフチョウは,環境の変化や採集圧等によって絶滅した。同時期に北山湿地のギフチョウも個体数を減らしたが,北山湿地を守ろうとする多くの方々によって,環境保全や改善がなされ,その後は個体数を増やしてきた。
 ところが,北山湿地の環境は,この7年間に大きく変化し,ギフチョウは,絶滅の危機に瀕する状況になった。
 特に今年(2020年)の発生状況は厳しく,成虫は5頭が確認されただけで,卵は3卵塊の22卵だけであった。しかもその内の2卵塊の11卵は無精卵であった。
 自然状態では,産卵された卵から成虫になる確率は数%である。それは,幼虫が天敵に捕食されたり,食草のヒメカンアオイを食べつくし,移動しても次の株が見つからず,餓死したりするからである。しかし,天敵に襲われないようにし,食草が豊富にあれば,卵の80%以上を成虫にすることができる。そこで,残った1卵塊11卵を積極的に保護し,次の世代に繋げるために,北山湿地に飼育ケージを設置し,自然状態での飼育を行うことにした。


 (写真1) 写真1 北山湿地のギフチョウ


2 産卵数の推移

図1 産卵数の推移 (出典:岡崎市環境部,北山湿地におけるギフチョウの産卵数調査(2020年)より)

 図1は,2007年から2020年までの北山湿地におけるギフチョウの産卵数の推移のグラフである。
 1頭の♀には,卵母細胞が約80個あり,自然状態では,1頭は約50卵を産むと言われている。♂の個体数は,♀の約3倍であることからして,2009年は,1147卵が確認されたことから,約20頭の♀が産卵し,♂は約60頭いたとすると,合わせて約80頭が発生したことになる。2011年は,約120頭が発生したことになる。この数字は,確認された成虫の個体数の推移とほぼ比例している。
 しかし,2020年は,産卵時期の違いから,2頭の♀しか産卵しておらず,成虫の目撃情報も5頭であり,2020年が危機的状況にあることがよく分かる。


3 衰退原因の推測

 (1) 池金町に降った豪雨と産卵数の関係


図2 産卵数と豪雨の時期

 2008年8月28日から30日にかけて,岡崎豪雨が発生し,3日間で447.5oの集中豪雨が降り,道路冠水72か所,護岸等崩壊152か所等の被害が出た。しかし,岡崎市の東部の山林では,それほど大きな被害はなかった。
 図2の@は,豪雨のあった時期である。2009年には,ギフチョウの産卵数は約3倍の1147個に増えた。岡崎豪雨は,北山湿地のギフチョウには影響がなかったことが証明された。
 2011年7月19日から20日にかけて,台風6号が襲来し,2日間で215.0oの豪雨が降り,道路冠水19か所,護岸等崩壊28か所等の被害が出た。さらに9月20日から21日にかけて,台風15号が襲来し,2日間で224.0oの豪雨が降り,道路冠水19か所,道路法面損壊等18か所等の被害が出た。岡崎市の東部の山林に大きな被害があり,北山湿地では,表土が流され,土の道路は大きく浸食された。ギフチョウの蛹は,枯葉や小石の下にあるので,かなりの数が流出したと思われる。食草のヒメカンアオイも流され,株数は激減した。
 図2のAは,豪雨のあった時期である。2012年には,ギフチョウの産卵数は約3分の1の494個になった。
 2013年には,ヒメカンアオイは根が残っていたのか,かなり復活し,ギフチョウの産卵数も596卵に増えた。
 2013年9月15日から16日にかけて,台風18号が襲来し,2日間で161.5oの豪雨が降り,道路冠水8か所,護岸等崩壊10か所等の被害が出た。北山湿地では,再び表土が流され,土の道路は大きく浸食された。食草のヒメカンアオイも流され,株数は激減した。
 図2のBは,豪雨のあった時期である。2014年には,ギフチョウの産卵数は約4分の1の145個になった。
 池金町に降った豪雨がギフチョウの衰退に大きく影響したことが明らかになった。
 その後の6年間は,食草のヒメカンアオイを守るため,一部を移植したり,立ち入り禁止区域を明示したりして,ギフチョウの産卵数も徐々に増え始めた。しかし,産卵数は,300個弱であり,これは,5〜6頭ほどの♀が産卵したに過ぎず,危機的状況であることには変わりなかった。
 2020年は,4月2日1♂が確認され,3日1♂,4日1♂,8日1ex.その後に1ex.が確認され,計のべ5頭しか確認されなかった。卵は,4月8日に1卵塊7卵(写真2),10日に1卵塊4卵(写真3)で,両卵塊とも無精卵であり,これらの産卵場所が隣接していることから,同一母蝶の産卵によるものと考えられる。その後は,4月28日に1卵塊11卵(写真4)を確認できただけであった。


写真2 7卵(無精卵)

写真3 4卵(無精卵)

写真4 11卵(受精卵)

 (2) 異常気象との関係

図3 3月の最高気温15℃以上の日数の比較
 例年,ギフチョウが羽化する時期は,吸蜜源であるソメイヨシノの開花時期と同じ時期で,3月下旬から4月上旬である。
 3月上旬に気温が上昇し始めると,蛹の中で成虫になるための最終段階の胸部のへこみなどの変化が現れ,3月の中旬に暖かい日が続くと蛹に羽化に向けてのスイッチが入り,2週間程度で羽化が始まると言われている。
 2011年は,ギフチョウが多数,発生した年で,図3の左側の表の中の黒枠は,2011年の3月の最高気温が15℃以上になった日である。この年は,3月27日に羽化が確認されている。 
 2020年は,2月21日に15.3℃を記録し,3月上旬は,暖かい日が続いた。この異常気象によって蛹の中で羽化の準備が始まったものと考えられる。しかし,羽化が始まる3月下旬や4月上旬までには,ほぼ1ヶ月間もあり,蛹の中で死亡した個体が多かったと思われる。実際,最初の成虫が確認されたのは,4月2日であった。
 このように,2020年は,ギフチョウの絶対数が少ない状況の中で,この異常気象がギフチョウの衰退に大きく影響したと考えられる。



4 極的な保護活動
 池金町に降った豪雨と異常気象がギフチョウの衰退に大きく影響したことが明らかになった。しかし,食草のヒメカンアオイは,豪雨によって流出したものの,徐々に回復してきており,2011年の発生数を維持できる状況になっている。問題は,ギフチョウの絶対数が少ないことである。そこで,自然状態の中で,卵や幼虫に十分な食草を与え,天敵から守る環境下に置くことによって,発生数を増やす計画を立てた。
 (1) 自然飼育ケージ

図4  自然飼育ケージの設計図

 北山湿地の駐車場のトイレ横には,駐車場を造成した際に移植したヒメカンアオイの寄せ植え地がある。そこで,密生しているヒメカンアオイの周りに支柱を立て,防虫ネットで囲んだ自然飼育ケージを設置した。
 ※ 詳細は,研究論文 ギフチョウを屋内・屋外で飼育する方法 を参照

5 おわりに
 岡崎市内に生息するギフチョウは,2010年2月1日付で,岡崎市自然環境保全条例に基づく「指定希少野生動植物種」の指定を受け,法律的に保護されることになった。しかし,その10年後には,不運な現象が連続して発生し,絶滅の危機に瀕している。
 北山湿地の北方約40qの豊田市西中山町にある愛知県緑化センター(昭和の森)では,その一部の区域でギフチョウが発生している。その生息環境は北山湿地と似ており,ギフチョウの発生状況の観察が継続して行われている。産卵数を調査している西中山町の一区画では,2016年には,最多の188卵の産卵が確認できた。しかし,2020年は激減し,たったの26卵しか確認できず,北山湿地と同じような状況に陥り,2021年以降の発生が懸念されている。(出典:中日新聞 2021.1.29)
 岡崎市の本宮山,愛知県南東部の宮路山,五井山,葦毛湿原などのギフチョウは絶滅してしまった。岡崎市の蔵次町のギフチョウも近年,見つかっていない。
 北山湿地では,2度の大きな災害を経た後,食草のヒメカンアオイはある程度,回復してきている。北山湿地産のギフチョウが絶滅する危機を脱出するには,積極的な保護によって,絶対数を増やすことしかない。そして,数年後には,以前のように,北山湿地の各所で,ギフチョウの美しい姿を見られるようにしたいものである。






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